2003年01月18日

第9旅当日

湘南台5.16→(小田急江ノ島線各停)→5.45町田5.55→(横浜線)→6.21八王子6.32→(八高線)→7.26高麗川7.28→(八高線)→8.53高崎9.14→(信越線)→9.46横川

いくら残り1日ぶんが残ってるからとは言え、別に始発に乗らなくたっていいと自分でも思う。
欲張ってこのルートでここをまわるのであれば、この時刻になってしまうのである。
八王子を八高線で出発する頃、ようやく空が青くなってきた。
高麗川からの景色は青梅線の次に好きだな。
だが朝が早いのがたたったのか、少し寝てしまった。

高崎に午前9時前にいるなど、なんてバカらしいことか。
それはともかく、すっかりさびしくなってしまった(のだろう)信越線のホーム。
2両編成、オールロングシートの車両は、そこそこの客が乗っていた。
今ではこんなに便数が少ないからこんな車両を使われているのに、線路は複線電化されているのが、かえって悲しいかも。と言っても、横軽廃止前の様子なんて知らないんだけど。
   
30分で終点。終点近くになってどんどん標高が高くなっていくのがよくわかった。
真新しい車止めが、これ以上先に列車は進めないことを物語っている。
向こうに見えるのは、廃止後にできたという「碓井鉄道文化村」だそうで、ここで活躍していたという機関車などが展示されている。
今度ゆっくり来たい。線路廃止あとがハイキングコースにもなってるらしいし。
駅構内では、名物の「峠の釜飯」の立ち売りがあった。応援の意味もこめて購入。

駅のそばの小川を渡るとバスの停留所になっていて、ここから先はバスになっている。
地面は線路がそのまま残っているところにアスファルトをひいたようで、そのもようが生々しい。

先ほどの乗客ほとんどみんながこのバスに乗り込んできたらしく、車内は満員状態。写真を撮ったりして余裕ぶっこいていたら席が怪しい。最後に乗り込んだのだが、バスの中ほどに席が無いのをいいことに、二人がけの先頭座席を一人で陣取っていたおっさんの隣に強引に座り込む。ラッキー。
出発前に車内で販売しているという絵葉書が100円であるというので購入。


横川1000→(JRバス)→1034軽井沢1058→(しなの鉄道)→1123小諸

バスは急勾配の道を登っていく。
同じ道ではないにせよ、ここを鉄道が通っていたのかと思うと、確かに大変だっただろうなあと思う。
ご丁寧に碓氷峠についての車内アナウンスが流れているが音量が小さくてききとれない。まあかぶりつきができているからいいか。
道路は急な坂道にも関わらず、重要な幹線道路であるらしく、大型トラックが数多く通っている。途中はもちろんのこと雪景色。

車内は見るからに鉄チャンというヤツもいるが、ごく普通の一般人らしきひとも多い。純粋な生活路線でもあるらしい。

途中ひとつの停留所も止まることなく(というか鉄道代替なのだから存在せず)、定刻通りに軽井沢着。
運賃は420円なり。廃止前の2倍になったというが、この道を通るのであったら、
これのさらに2倍くらいとってもいいような気がした。
バスの中で、「このバスは青春18きっぷ使えますか?」と尋ねていたバカがいた。切符の一番目立つところにバスはダメだって書いてあるだろ、使う前に読めよバカ。

冬の時期だからか、かねてから聞いていた「かるいざわ」のイメージとはちょっと違った片田舎である。夏に来ると避暑地・別荘地としてそれらしい町並みになるんだろうか。軽井沢駅の陸橋からスキーをしているひとたちが見えた。

軽井沢からはしなの鉄道である。ここはもと信越線で、新幹線が開通したあとは3セクになってしまったところ。
その昔はここも18きっぷで乗れたはずなのに、今ではもちろん普通に切符を買わなくてはならない。

車両がJR東日本のお下がりというのはわかる気もするが、切符の書式までこうも同じとは。同じ3セクの松浦鉄道もここまでじゃない。

座席が異様にボロかったのだが、高崎から横川までの信越線と変わらず電化複線と立派な線路だった。
そして小諸に降り立った。うーむ、地方都市もいいところ。
ここまで来てみて、軽井沢のほうがサッパリした感じであることがわかった気がする。
時間があるので街に出てみることにする。その昔は城下町だったらしく、関所や城のあとが復元されていた。


小諸1209→(小海線)→1423小淵沢

何故かいくぶん混んだ小海線。八高線と同じ形式の車両で、クロスシート部分が全部埋まっていたので仕方なくロングシートへ。立ち客もいる中、3人ぶんくらいのスペースを占領しておぎのやの試食とする。別添えの漬物の入ったケースまでもが釜の形をしているのがいいね。「釜飯」という名のとおり、本当に陶器の釜に入っているのもいい。これ、本当に1合の米を炊くことができるそうだ。これは捨てられないね。いい土産になった。中身も、数多くあるマズイ駅弁と違って、非常においしい。また来たらこれを食べようと思う。

新幹線の佐久平を越えて小海までは結構な市街地で、それで乗客も多かったわけだ。
小海を過ぎるとガッポリ乗客は減り、次第に山がちな景色になってきた。

座席もまばらになってきたので、クロス部分に座席移動。
サラリーマンらしき格好をした男がかぶりつき位置に立って外を見ている。あたりは高原という感じで、ひらけた平地の真ん中を線路がまっすぐに走っている。
とてもいい景色だったので、他人の目も気にせずに車両のいちばん前に立った。
この形式の車両は前がよく見えるからいい。
JR東日本の非電化単線区間に多くあって都合がいい。

時折り保線作業をしているひとたちがいて、とても寒そうだが、こうして見るとまことに失礼ながら絵になる。

そうして高原を走り、電車はついにJR路線最高峰の駅「野辺山」駅に到着した。嬉しいことにここでは離合待ちでしばらく停車ということだったので、迷わず途中下車。見上げるような碑があるが、まだ「国鉄」最高地点とあるのが…。

中学数学の教科書のいちばん始めは「正の数・負の数」で、そのときに出された例題として、日本のJRで一番高いところを走っているところと低いところを走っているところとしてここが紹介されていた。それがあってか、「のべやま」という駅名は別に鉄チャンでなくても知っているひとは結構いるものだ。そこについに来た。

ちなみに最低地点は関西本線の弥富駅で、こちらはすでに通過経験はある。
あちらはいたって普通の住宅地の中にある駅なのであまり面白くなく、未だに途中下車はしたことがない。実はよく通るくせに、一度くらいは途中下車して辺りを歩いてみたい。

駅前はいたって普通の田舎町。住宅が何軒かあり、駅前が簡単なタクシープールになっている感じだ。
駅の窓口で「空に一番近い駅の入場券」が売られていたので購入。
これもいい土産になった。

時間になり、電車に戻って一番近いドアから乗ると、そこは最後尾。最後尾のかぶりつきには、もう典型的そのままと言えるデブでメガネなヲタが陣取っていた。
こいつをおちょくるのも面白いかもしれない。とりあえず近づいてみる。手元には何かしらノート、そしてそばに立てかけてあるのはアイドル写真…?
今までで最悪のヲタである。もう怖くてそのアイドルが誰なのか確認もできない。
かろうじて見たノートの中身で見えたのは、汚い手書きの地図に、名古屋駅の記念スタンプ。ここに景色の見どころでもメモしてあるのだろう。手にはインスタントカメラ。
これみよがしとばかりに、僕はデジカメをうやうやしく構えて、雪かぶるアルプスと雪路に映える線路の写真を撮って見せた。
ヲタが右端に立っていてくれたおかげで、僕は最後尾の中央で、線路を真ん中にとらえた写真を何枚か撮ることができた。


小淵沢1430→(中央本線)→1518甲府1537→(身延線)→1650身延1654→(身延線)→1816富士1820→(東海道線)→1859熱海1910→(東海道線)→2006茅ケ崎2016→(相模線)→2048厚木2057→(小田急小田原線各停)→2059本厚木2104→(小田急小田原線各停)→2107愛甲石田

小淵沢では、小海線が別ホームになっていて、どうしても陸橋を渡らなければならないようになっている。
陸橋の階段をくだると、そこが検札所みたいになっていて、ここで一度切符を見られる。
小淵沢で下車する人はこのまままた出口へ向かうのだろうが、僕はそこまで時間がなかったので、すぐそばに止まっていた中央線の車両に乗った。小淵沢発なので非常に空いている。
甲府までもほとんど客が乗ってこないまま、ボックス席を一人で占領して甲府で降りた。時間があるので改札を出て、市内をブラブラ。ローソンでNTT料金を払う。

甲府からの身延線は非常に混んでいた。普通に買い物帰りのひとたちでわさわさしている。混んでいるのをいいことにかぶりつき位置をゲット。
鰍沢口くらいでようやく座ってもいいくらいの空き具合になってきたが、それでもワンボックス悠々と座れるほどでもなかったのでずっとかぶりつきにいた。

身延から乗り換えた車両はロングシートなうえ日も暮れてしまったのでひたすら寝る。微妙に田舎の町並みばかり行くので、身延線は概してつまらないことがわかった。

東海道線も順調に進み、茅ケ崎で相模線に乗り換えた。愛甲石田の親戚宅へ行くためである。
厚木駅に降りたのは初めてだったのだが、いきなり小田急のホームと同居していて驚いた。
18きっぷだったのでこのまま乗るわけにもいかず、一度改札へ向かう。その間にちょうど連絡したように来ていた小田急の電車は出てしまった。

改札で一度切符を見せてから、パスネットを自動改札に通して入場。急行が止まらない厚木に各停はなかなか来なかった。
急行に通過されるってなんか悲しいな。普段はこういう駅にはなかなか来ないもんで。

で、着いた親戚宅で、横軽JRバスで買った絵葉書と野辺山駅の入場券を忘れて帰った。

2003年01月05日

第8旅第2日

大阪6.02→(福知山線)→8.20福知山8.33→(舞鶴線)→9.17東舞鶴9.32→(小浜線)→1129敦賀

ムーンライト山陽の車中で検札はあったものの18きっぷの9日めにハンコをくれなかったので大阪駅で改札を一度出て、そこでもらうことにする。
ムーンライトで到着して、それが朝早いばかりに大都市の駅にも関わらずさびしいというのは名古屋や横浜で体験済みだが、それは大阪でも変わらない。
時間が多くあるわけでもないので、すぐに改札を通った。
とんでもなく長いトンネルを通ったりしつつも長い間都市部を通り、ちょっと山に入ったところで福知山に着く。一度改札を出てウロウロしてから、さっさと次の列車に乗った。

東舞鶴駅は島形ホームなので、電車を降りた向かい側に小浜線の電車が止まっているものと思っていたが、なぜか同一ホームの福知山側に舞鶴線、敦賀側に小浜線が停車というよくわからないことをしていた。ここで特急通過待ちがあるわけでもないのに。
若狭湾が望めるかと思いきや、まったく海など見えず、ただの田舎風景の中をひたすら走る。このたび電化されるのでこの車両ともおさらばだそうだが、全く感慨深いものはない。途中でうとうとしながら小雪舞う敦賀に到着。

別に期待していたわけではなかったが、予想通り片田舎。典型的な日本海側の地方都市のひとつである。遠くに雪山が見えたくらいで、駅前を一周し、デパートを巡って駅に戻った。

駅に戻る途中の道で、こういったものを見つけた。
歩道の頭上にトイレのありかを教えてくれる掲示があるとは非常に親切だ。
何もないときはおせっかいなだけのような気もするけれど、切羽詰まったときにはありがたい。
あと、銀河鉄道のモニュメントがほかにも多数駅前の歩道にあったのだが、敦賀は作者の出身地なのだろうか。あいにくそこまでは知らなかった。

敦賀駅で個室トイレに入ったときに悲劇は起こった。カミが無い!!コトを済ませてしまったあとでこの状態はヤバい。
ドアを開けて外をのぞくと誰もいないので、危険防止のため、意を決してそのままズボンをはき、トイレの入口でカミを買う。1個50円、2個100円。2個もいらないな。ちょうど50円玉があったので、それでさっさと購入。取り出し口をのぞくと、なぜか二つ落ちている。誰かの取り忘れだろうか。だったら50円出費しなくてもよかったな。
今は切羽詰まっている状態なので、これの持ち主がいなければ、落ち着いたあとでこのカミも頂くことにしよう。落ち着いて出てくると、先ほどのカミがなくなっていた。誰か気づいたひとが持っていったに違いない。
今後もこういうことがあるだろうから蓄えは欲しかったのだが、別に自分のものというわけでもなかったのであきらめはあっさりついた。
しかし、トイレの場所を案内してくれるのは親切だと思うが、カミが無いのは大幅なマイナスの不親切だと思う。近頃じゃイタズラ防止ってことで仕方ないらしいのだが。これは大事なサービスのひとつだと思う。


敦賀1215→(北陸本線)→1259長浜1312→(新快速)→1321米原

さて、昼時だが何を食べようか。土産物屋ではやはり海産物がここの名産らしい。
というわけでカニの押し寿司と、おにぎりと。ご飯ばっかり並べてみた。

富山方面の雪の影響で特急が遅れているらしい。
駅員に聞いたら各停は問題無いということだったが、よく考えたら問題無いわけがない。やっぱり特急の運行状況のほうが大事なんだな。
案の定結構遅れて各停は出発したが、そのぶん長浜での新快速との乗り換え時間が減ってよかった。


米原1328→(東海道線)→1358大垣1403→(東海道線快速)→1524豊橋1526→(東海道線)→1559浜松1600→(東海道線)→1810沼津1832→(東海道線)→1916小田原1926→(東海道線)→2004藤沢

米原大垣の短編成はすさまじいことになっていた。何しろ人垣を押しつぶさないと乗れないのである。そのうち僕自身も押しつぶされそうになっていた。
幼稚園生くらいの子ども二人を連れたおばさんが、これの次はいつになりますかね〜?と車掌に尋ね、30分後になることを聞いて、さんざん迷った挙句、次の便を待つことにしたようだった。
息さえままならない30分間が過ぎて、またもや快速の席取り合戦である。
僕は窓側を楽にゲットでき、車内に立ち客が出るほどになってきたのだが、そこにマフィーの法則のごとく現れる老夫婦。
こういう場合、僕は相当な高倍率で彼らより遠くに行くことは確定していることがわかっているということもあって基本的に席を譲ることはしない。こういう社会は絶対的に競争社会であり、たとえ老夫婦でも、着席したければ並んでもらうしかないのだ。競争したくない・でも着席したいというのであれば、こんなに混む東海道線在来線に乗らずに、特に米原なんだから新幹線に乗ればいいのである。ここからなら岐阜や名古屋くらいまでは彼らも行くのであろう。老夫婦なんだからカネもあろう。わざわざ混む車内に来て迷惑をかけないで単純に新幹線へ行っていただきたい。というのが、かなり強調したうえでの僕の主張である。

以後豊橋や浜松でも乗り換えダッシュが続く。
浜松では、1本落としても10分後の便があったのだが、するとそれ以降の乗り換えで、この便よりもだいぶ遅く藤沢に着くので、あえて早いほうに乗った。しかし座れなかった。これは沼津行き。この混み具合からして、沼津までの2時間強、座れないかもしれない…。そう考えていたのだが、ラッキーなことに静岡に着く前に目の前の席に座っていた人が降りたので座ることが出来た。これで沼津までゆっくりできる。ウトウトしながら沼津に着いたが、いつしか列車は遅れていたらしく、3分乗り換えで接続しているはずの便はすでに沼津を出ていた。
もうここから東京側であれば、便は数多くあるので接続しなくても大丈夫と判断したのだろう。しかし次の便は19分後で、沼津滞在3分だったことを考えればちょっと損した気分である。
しかも時刻表を見て気づいたのだが、これから乗る便は静岡発で、さっき浜松で1本落として10分後の便に乗れば接続していたものだった。ということは、10分後の便に乗って、静岡からここまでずーっと座ってくることもできたはずだったのだ。こ…これはかなり損した気分。同じようなひとはもちろんほかにも多くいて、沼津に入線してくる列車をうらめしく迎えた。

小田原でもう一度乗り換えて、ようやくのこと藤沢着。帰省終了。

2003年01月04日

第8旅第1日

長崎1200→(長崎本線・大村線)→1345早岐1347→(佐世保線)→1437肥前山口

珍しく雪が降った。だからといって計画を変えるわけにもいかず出発。親が車で長崎駅まで送ってくれた。去年の春も夏も、帰省はこの切符だったものの、戻りはいつも飛行機だったので、上りで18きっぷを使うのは今回が初めてである。

出発して次の駅、浦上で大変なことに気づいた。アパートの鍵を置いてきてしまったようなのである。
もし浦上駅をまだ出ていなければ、ここで降りて路面電車で一度帰るのだが、(計画は変更になるが日田彦山線などを通らずに純粋に博多経由で下関に向かえばいい話)ちょうど浦上を出てしまった。次に止まるのは喜々津だ。しかも長崎トンネルのため、携帯電話は通じない。喜々津に着いて、ようやく電話が通じるが、実家は留守電のまま。駅の帰りにどこか買い物に寄っているに違いない。
さてそうこうしているうちに諫早を過ぎて大村線に入った。次は神奈川側の親戚である。もしものために合鍵を預けてあるので、それを借りるつもり。
その旨を家を出ているイトコにまずメールで伝え、家に電話してもらうことに。
「電話しといたから、どこかで降りたら電話してみて」とのこと。肥前山口で時間があるからそうしよう。

長崎〜鳥栖間を各駅停車で行くには、普通長崎本線をひたすら向かうわけだが、本数の少なさや所要時間を考えると、実は佐世保経由のほうが早く着く場合がある。
今回はまだ早岐〜肥前山口間を乗ったことがなかったという理由もあって、このコースを進むことに。
大村線に入って雪がきびしくなってきた。雪に煙るハウステンボス。

肥前山口で親戚の家に電話すると、あまり要領をえない返事が来た。
「長崎に電話したら、ちゃんと持って出たって言ってたよ?」
カバンに鍵を入れた記憶は無いぞ?と今度は実家にかけてみる。買い物から帰ってきたようだ。
「自分で鍵を入れとったろうが」駅の待合室で荷物をひっかきまわすと出てきた。
ああそういえば、ほかのところに置こうとしたら、忘れるからもう最初から入れとけと言われたんだっけ。
見つかった旨をイトコと親戚宅に伝えた。これで藤沢に直行できる。


肥前山口1504→(長崎本線)→1552鳥栖1602→(鹿児島本線)→1614久留米1634→(久大本線)→1735夜明

佐賀でまたもや特急通過待ち。
隣のホームに「かもめ・みどり・ハウステンボス」の3連結特急が来たが、空席どころか乗り込むのさえしんどい様子。世間はUターンラッシュの真っ只中。
特急料金を払ってまで立って乗り、こっちは18きっぷだけでゆうゆうと席に座っていられる。
長崎本線の肥前山口−諫早間ほどではないが、反対側のホームの特急に比べたらガラガラに空いている。
なんだか矛盾を感じて佐賀駅の積み残し客を見ながら佐賀をあとにした。
鳥栖から2駅くだって久留米で立ち食いうどんを食べた。「天カスいれてあげようか?」と言われた。
ほかの駅では素うどんはひたすら素うどんなんだけど、これは嬉しかった。

久大本線は意外に混んでいたが、どうにか進行方向に向かって座ることは出来た。
目の前のおっさんへ。「混んでいる車内でプレイボーイなどの雑誌を広げることはおやめください」
進むにつれて雪が深くなっていく。
離合の「ゆふいんの森」が遅れたりしたので夜明には接続ぎりぎりで到着。日暮に夜明駅に着くとはこれいかに。もう少しこの辺りを散策してみたかったのだが、ただでさえ接続時間が短かったうえに久大本線が遅れたので、隣の列車に乗り移ることだけしかできなかった。ホームには10cmくらい雪が積もっていた。


夜明1736→(日田彦山線)→1931城野????→(日豊本線)→????小倉

日も暮れて、もはや雪が深いということしかわからないまま日田彦山線は終わり、
城野に着く。ここでは別に乗りかえしなくてもそのまま小倉まで行けるはずだった。
しかし隣のホームに大分方面から来たらしい小倉行きが止まっていた。
あれ、接続するんだっけ?あっちに乗り換えたほうがいいのかな?
時刻表と隣のホームを見比べながら考えていたら、隣のホームに止まっている列車の向こうにさらによくわからないものが。「寝台特急・富士」富士はこの時間にはすでに本州入りしているはずである。
いつまで経っても発車しないし、これは小倉で何かあったに違いない。
日田彦山線から来たこの列車と、日豊本線から来た向こうの列車のどちらが先に
出るかわからないので双方の客はどちらかに移動することも無く発車を待っていた。
ほどなくこっちの日田彦山線の列車が先発するというアナウンスが入り、向こう側の列車から大勢のひとが乗り換えてきた。
しかしそれでも発車しないので待っていると、今度はやっぱり向こう側のほうが先だという。僕はそれを聞いてさっさと移動したのだが、他の客は「小倉で何があったんでしょーねー」とか話しているばかりであまり聞いていない。二度目か三度目のアナウンスでようやくそれに気づいたようで移動してきた。そしてさらに少し待ってようやくのこと発車した。
あれ?富士より先?もしかしてこれは富士より前に行橋方面から来た列車だったのか?
本来の計画では小倉か下関で途中下車して夕食を調達する予定だったのだが、このぶんだとその時間は無い。しかしこの列車が直通下関行きであるので、このまま進行してくれれば下関でムーンライト山陽に乗ることはできる。そう、あくまでこのまま進んでくれればの話。
「この列車の行き先は下関となっていますが、小倉までしか運行いたしません」
ウソだろー!結局小倉で降ろされた。小倉はもう祭りである。小倉に着いて、この混乱の原因がわかったのだが、「強風のため、門司〜門司港間運休」???
そこが運休して、どうして下関に行けないんだろう?
理由はサッパリわからないが、とにかく下関へは今のところ行けないので列車を降りることにする。この時点でもうすぐ20時というところ。これから乗るムーンライト山陽は、下関発20:36である。
他にこれに乗る予定のひともいるだろうから、どうにかしてくれるとは思うが一応改札口に文句を言いに行くことにする。すると当然のごとくそこには長蛇の列が。
下関方面への列車が出ないかどうかのアナウンスに耳を傾けながら順番を待つ。ややあって順番がまわってきた。まずムーンライト山陽の指定券を見せる。「これにちゃんと接続してください」駅員は意外なことを言われたのか少し驚いた様子で後ろにひっこみ、上司と相談をし始めた。
「20:20くらいに下関行きが出るので、それをお待ちください」
それはいいことを聞いたと思い、列を離れた。これは言っておいてよかったかもしれない。
すぐ後ろにいた兄ちゃん。「ムーンライト九州はちゃんと運行しますか?」「します」駅員即答。
ムーンライト九州なんて発車まであと2時間もあるだろうが。
その前にどうしてそんなに早く駅に来ているのかまず尋ねたい。
駅弁売りのおばさんが売れ残りの弁当を叩き売りしていたので買って夕食とする。


小倉????→(山陽本線)→????下関2036→(ムーンライト山陽)→5.41大阪

ホームに戻ると、先ほどの富士が小倉までたどり着いて来た。よほど下関までこれに乗ってやろうかと思ったけど、思いっきり不正乗車だし、どうせこのあとの各停が接続してくれるということだったから乗らずに待つ。
ホームの大勢のひとたちにジロジロ見られながら富士は下関へ発車した。

その後、各停の下関が入線、通勤ラッシュ並みのひとを載せて発車した。
車内でムーンライト山陽に接続していることのアナウンスがあり、ひと安心。
下関で無事乗り換えることができた。同じ車両の前のほうに座っていた男が、どうやら連れがさっきの下関行きに乗りそびれたらしく、車掌にくってかかっていた。
次の下関着のも待てということか。
しかし残念ながらムーンライト山陽は15分ほどすでに遅れていることもあってすぐに出発した。彼と彼の連れがどうしたのかは知るよしもない。
列車はかなりのスピードをあげ、小郡あたりですでに定刻通過をして、順調に大阪に着いた。


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