2002年12月24日

第7旅第4日

下関では駅弁の販売があると親切にもアナウンスがあった。
停車時間もあったので売り場に行ってみると、助六弁当がかなり手頃な値段であったが、さして必要というわけでもなく、買わずに列車へ戻った。
小倉で大勢が降り、いよいよラッシュの時間帯になってきた。
赤間あたりだったか運転停車の時間があって、ホームにいるひとがこっちをジロジロ見ていて少し気分悪かった。


博多8.09→(鹿児島本線)→8.20香椎8.26→(香椎線)→8.56宇美9.08→(香椎線)→9.21長者原9.35→(篠栗線)→9.58桂川1007→(筑豊本線)→1032原田1034→(鹿児島本線)→1053博多

博多着。もうラッシュの真っ只中である。
さあてどうしようかと考え、まず改札を出て駅弁をゲット。その後、香椎線に乗ることに決め、香椎まで移動する。ラッシュのさなか、非常に混むホームで弁当を広げ食す。その間も目の前には香椎線の電車が止まっているが、まだ発車しない。余裕しゃくしゃくで弁当を食べ終わり、乗り込む。ロングシートなり。

遅刻気味の高校生をあちこちで下ろしながら宇美着。とりあえず外に出る。
これから桂川に向かうが、それまでの香椎線・篠栗線はもう乗ってしまった区間ばっかりだったので、もし桂川方面へ行くバスがあればそれでショートカットしたい。
おりしもバスがやってきたが、あいにく博多行き。時刻表をながめたが、結局いい方角へのバスが無かったので駅に戻る。長者原まで戻り、篠栗線のホームへ向かう。

桂川で初めて降りた。とにかく田舎である。
これから乗る区間はとにかく本数が少なく、「本線」という名がどうかと思うくらいだ。他に乗客は3人ほど、じーさんばかりである。
途中上穂波から乗ってきたばあさん二人が次の筑前内野ですぐ降りていった。
筑前山家駅前に西鉄北九州線の車両が置いてあったのには驚かされたが、あいにくこういう路線で途中下車するわけにもいかず、諦めて通り過ぎた。

原田に着く前の乗換え案内で博多方面は2番線と言っていた気がするのに、なぜか1番線にすでに門司港行きが止まっていた。一人のおじさんはそれを見て跨線橋を1番線のほうに行ったが、僕は2番線に下りた。
するとそのうち2番線に熊本方面から門司港行きが来たので乗ったが、さっきのおじさんはこれを見てこっちに来ることはしなかったようだった。


博多1105→(福岡市営地下鉄)→1110福岡空港1115→(福岡市営地下鉄・筑肥線)→1159筑前前原1200→(筑肥線)→1240虹ノ松原1305→(筑肥線)→1315西唐津1350→(唐津線)→1500久保田

博多から筑肥線に入るには、福岡市営地下鉄をはさむので余計な運賃が必要となる。しかし姪浜から先で降りるには18きっぷで降りればよいので地下鉄の博多駅の改札さえ入れればよい。
そう考えれば別に初乗り運賃でも構わなかったのだが、それは気分が悪かったのできちんと姪浜までの切符を買った。
まだ時間もあったし、まだ福岡空港まで行ったことが無かったなと思い、反対側のホームから一度福岡空港まで行って戻ってくることにする(すでに不正乗車)。

市営地下鉄の写真を撮りたかったが、地下なのでどうしてもフラッシュを使わなければならない。
しかし福岡市営地下鉄は筑前前原など地上駅まで乗り入れをしているので明るい下でフラッシュを使わずに撮影できる。
だが筑前前原での乗換時間があまりに少なすぎて撮るヒマがなかった。
だが、実は西唐津で待ち時間が結構あるので1本落としてもよかったのだ。
どうせならどこか無人駅で途中下車してみたいなと思ったのだが、適度な駅が見つからず、ついに虹ノ松原まで来てしまった。
まあいいかとここで下車。次の便まであと20分くらいある。
虹ノ松原駅は極めて小さな駅で、一応駅前にタクシープールと小さな商店があった。
こういう駅名であるからすぐ近くに虹ノ松原があるのかと思いきや、確かに駅前ではあるもののあまり虹ノ松原の見どころの中心に駅があるというわけでもなく、駅前の観光案内図などを見て過ごす。

以前同じルートで唐津までは来たことがあったのだが、そのときはこの西唐津までの一駅に乗ることが出来ず、今回こうしてこのルートをとったわけだ。
地図などで見た感じでは、唐津駅から西唐津駅までの距離は大してなさそうだったが、実際に乗ってみるとそうでもなかった。
ここでも時間があるので、まずは昼食をとるべく店を探す。
セブンイレブンがあったのでそこで簡単な弁当を買い、唐津線佐賀行きの車中で食べる。
以前の唐津では、筑肥線で伊万里へ向かったが、今回は佐賀に出ることにする。
多久を通り、佐賀まで出ても次の電車には間に合ったのだが接続駅の久保田で降りてみることにする。
ほかに兄ちゃんが降りたのだが、久保田駅は本当に何もない駅だ。
次の長崎行きは61分後…。その間に途中どまりの便が2本ある。ひとまず先に進むか。


久保田1512→(長崎本線)→1520肥前山口1550→(長崎本線)→1610肥前浜1639→(長崎本線)→1837長崎

肥前山口で30分待ちし、来るのはそれでも肥前浜止まり。あーあと思いつつそれで先に進む。
肥前浜は久保田と違い車どおりの多い道が近いのだが、それでも充分田舎である。
駅の隣にはクロネコヤマトの小さな配送所があり、大型トレーラーが出入りしていた。
ひとまず国道まで出てみる。バス停を見つけて時刻表を眺めると、長崎県への県界行きバスがある。
一度この佐賀県から祐徳バスで県界連絡、長崎県営バスで長崎入り、というルートで帰ってみたいものだ。
学校帰りの時刻で、小中学生がうじゃうじゃ駅に集まってきて、同じ長崎行きに乗り込んだ。非常に混んでいるが、当然彼らが長崎まで乗りとおすはずもなく何駅かですっかりさびしい車内になってしまった。

車両の入れ替えがあって以来、この車内は確かに近未来的なデザインにはなったものの、どうも長時間乗るような仕様ではなく、僕は気に食わない。これが今では長崎〜鳥栖の長距離間を走っているのだから結構迷惑な話である。それも実際に距離が長いだけでなく、途中で特急通過待ちや離合待ちでやたら停車時間が長いため、
各駅停車での所要時間は思いっきり時間がかかるのである。

で、折りしもこの長崎本線各駅停車にキレてるおっさんが一人。いよいよ長崎県内に入ったが、車内にほとんどひとはいない。2両編成で5人くらいか。
僕は前の車両の中ほどに乗っていたのだが、それより前にそのおっさんは座っていた。
「この駅で特急通過待ちのため10分停車しまあす」というアナウンスにやおら立ち上がり、運転手に声をあげた。「一体いつになったら諫早に着くのだ?」
おそらくまだ1時間あったので、この時点では多良あたりにいたはず。
「17:59着ですからあと1時間くらいですね」
多良から諫早まで距離にして30km程度。
これを1時間かけて進むのだから、自動車よりも余程遅い。
「遅すぎなんだよ、まったく…」
とかなんとか言いながらおっさんは電車の外に出て喫煙。
電車が発車してからになって、おっさんは「車内携帯電話使用禁止」を
敢えて無視するかのごとく、大声でどこかに電話し始めた。
「諫早までですね、あと1時間くらいかかるで、すみませーん」
やたら強調していた。

そんなこんなでようやくのこと長崎着。
噂には聞いていたが、ここに自動改札ができて、改めて驚く。これまで自動改札は、長崎市内には原爆資料館にしかなかったのだが。
そうして県外組の長崎連中に写メールで送った。

よく考えてみたら今日はクリスマスイブ。
当然出迎えなどいるはずもなく、かえって知り合いに会いたくないなと思い、さっさと帰宅。

2002年12月23日

第7旅第3日

円町2115→(山陰本線)→2124京都2133→(ムーンライト九州)→7.27博多

京都発が21時半だが、この日のぶんも18きっぷは使うので、早めに出てどこか行ったがオトクである。21日と同じことである。
どうせなら和歌山線とかに乗りにいこうかと思っていたが、capi宅で昼じゅうゴロゴロし、さらに他の後輩に会ったりして結局夜になってしまった。しかも最後の最後でドタバタしてしまう。
まず円町駅までダッシュするが、capi自身があまり食べないタチなので夕食が足りず、円町駅の隣にあるマクドナルドに飛び込む。激安のハンバーガーとチーズバーガー。
あわただしくカバンにしまいこんで店を飛び出した。

すぐ隣の駅舎に飛び込んで、改札でハンコをもらう。
この時点ですでに21時をまわっているので、ちょっと駅員さんも躊躇したようだ。
階段を駆け上り、京都駅の出口が一番先頭側だったのを思い出して二条側に向かって歩き、先頭位置で待った。
この日から初めて赤い18きっぷを使ったので、ハンコの具合を暗がりで見てみる。
毎度思うのだが円町駅のハンコはインクが濃い。
マルス券と違ってまったくの紙である赤券はよくハンコが映えた。
京都に着くが、よく考えるとこの便の折り返しに乗って昨日はcapi宅に着いたのだった。京都滞在ちょうど24時間か。
ムーンライト九州はすでに入線していて、あまり時間も無かったので席を探す前にまず顔を撮るべく先頭に向かうが、ヘッドマークもない普通の赤い電気機関車だったのでガッカリして撮らずに引き返す。
今度は最後尾に行って、この列車の特徴である展望車の写真を撮った。
ぜひ行ってみたかったが、すでに先客がいるのと、ここが喫煙席であることを考えてそこには向かわず、自分の席へ行った。

カバンを上にあげてすぐ、食べ物はあるものの飲み物が無いことに気づいた。
えちごでえらい暑くてのどが渇いたことを思えばこれは危険だ。しかも手元にはハンバーガー。
飲み物なしはちょっとつらい。時計を見るが、発車までは微妙な時間だ。
しかも最寄のドアには別れを惜しむカップルがいたりしてトコトン邪魔だったのであきらめる。
まあどっかで時間があるだろう。福知山線への各停や新快速と競いながら新大阪へ。神戸?で外に出て、ペットボトル購入。

結局減光されても隣の席に乗客は来なかった。
まわりを見回しても、空席は結構あって、二人分の席を使い横になっているひともいた。というわけで遠慮なく横になる。で、これがいけなかった。
一人分の座席券で二人分占領できるのが嬉しいのか、興奮して眠れない。
岡山過ぎて、広島過ぎて。
ようやく眠れたが、目が覚めたら厚狭だった(シャレではない)


2002年12月22日

第7旅第2日

次に目覚めたのはどこだったか、もう新潟は近かった。
それにしても新潟着が午前5時前というのは早すぎ。でも新宿発が23時過ぎだから、発車を遅らせるわけにはいかないか。
ムーンライトえちごからの乗換には山形方面へ行くのと、富山方面へ行くのとある。まあ半々くらいの割合だろうと思い、接続も早いのでえちごをさっさと降りて越後線のホームへ急いだが、大体の客は白新線のホームへ行ってしまったようだった。
新潟から富山方面へ向かうには、越後線経由と信越線経由があるが、えちごが信越線経由だったので、同じルートを折り返すのも芸がないと思い、越後線経由にしたのだ。ちなみに、どっちにしろ柏崎で同じ列車になるのだが。


新潟5:01→(越後線)→5:53吉田5:56→(越後線)→7:09柏崎7:27→(信越線)
→8:08直江津8:15→(北陸本線)→10:06富山


新潟を出るときは早朝らしくほどよい空き具合だったのだが、新潟の次の白山駅で大学生が大量に乗り込んできた。
さすがに早朝なだけあってざわざわしているものの騒々しくは無い。
話に耳を傾けてみると、どうやら新潟大学の連中らしく、白山駅の近くで夜通し飲み会をした挙句、始発列車で帰宅というパターンであるらしい。
一人でワンボックス占領していたのをあっさり1駅で追い詰められたが、新潟大学前を過ぎた頃からまた静寂が戻ってきた。吉田を過ぎたあたりで夜が明ける。
柏崎で時間がちょっとあったので、一度改札を出る。柏崎という街は名前だけは知っていたが、という程度の街だった。

まだ朝が早いせいか駅前にはまだ人影は無い。
越後交通のバスが止まっていて、そのバスの写真を撮っているひとがいた。
構内の売店で藤子F不二雄の「TPぼん」5巻を発見。
これから荷物になることを考えて少し躊躇したが、これからいつ見つかるか分からないのでここで買っておくことにする。
跨線橋から雪山を見て、ここが北陸であることを実感する。
しかしその割には街中に雪が見当たらないんだよね。ホームで昨晩湘南台で買ったパンを食べて朝食とする。

直江津から乗った車両は、常にドアが開くわけではないという。
ドアにしっかりこんな写真の注意書きがあるのが感心した。
駅に止まるたび、ドアが開く音はするのだが実際には開かず、閉まるときももともと閉まっていたドアはガチャッと鍵が閉まるような音がするだけである。こういう地域だから、太平洋側のように、停車中はずっとドアを開けておくというのは頭が悪いだけだ。
鉄道の車両にこういう仕組みのドアがあることを初めて知った。
まったくハイテクなんかではなく、むしろローテクだな。

富山で降りると、まず地鉄の1日乗車券を手に入れるべく窓口を探した。
実際に使う額から考えると大してオトクでもないし、富山の滞在時間は2時間しか無いのだが、こういう切符は回収されたりすることもなく手元に残るのがいい。
あまりにオトクにならない1日乗車券は考え物だが、大体往復運賃くらいで済むので行く先々では大概こういうのを購入することにしている。

この1日乗車券では鉄道線の南富山までは乗ることができるらしい。
ちょうど南富山方面への鉄道線が10:30の発車を待っていた。
富山での滞在時間が2時間、発車までまだ15分くらいあることを考えると、これは非常に微妙。
むしろ路面電車線で南富山に行ったほうが早いに違いない。
だが南富山からはどっちにしろ路面電車に乗るんだし、鉄道線にも乗れるんなら乗ってみるかと判断し、10:30の発車を待つことにした。しかしまた乗客がいない。
3両編成に乗ったときにはほかにはおばちゃんが二人ほどいただけだった。

ややあって南富山に着く。降りたのは僕一人だけだった。
ホームに降りると、まず踏み切りがあってそれを越えると改札という感じだった。ちょうど踏切は閉まっていて、さらに僕がカメラを構えていたりしたもんだから、結構改札のおじさんは待ってたっぽい。しかも1日乗車券で回収するわけでもないものだから、券を一瞥するとバタンを窓を閉めてしまった。

南富山駅前で一台見送ってから大学前行きを待って乗った。
ダイヤがきちんと守られているということは非常にいいことだと思う。
しかし、それは乗客にとって便利なダイヤであったらの話だ。
冷静に考えてみて、路面電車線それも大学前まで行く路線のダイヤは相当考え物だと思う。富山駅前で5分ほど発車待ちをし、さらに単線区間に入る前でも相当長い時間を要するのだ。
おかげで大学前に着いたときにはすでに11時半を過ぎていた。
富山発の北陸本線は12:12。本当はこのあたりを散策してから富山駅に戻りたかったのだが時間が無い(しかも大学前まで来る便があまり多くない)ので、歩道橋を上がるとすぐにまた降りて同じ電車に乗る。
こういう旅行ではあきらかに運転手に顔を覚えられているので(被害妄想?)
同じ電車で折り返すのは気分が悪い。特にワンマン運転ではそうだ。


富山1212→(北陸本線)→1230高岡

冬の北陸だからと厚着してきたのがまずかった。
富山地鉄の具合悪いダイヤのせいで富山駅まで走ったのもあわせて非常に暑い。
高岡まで移動する間にトイレでセーターとトレーナーを脱いだ。

事前に調べておいた高岡駅前地下街の洋品店で万葉線の1日乗車券を手に入れた。途中にある渡し舟にも乗れるそうな。
洋品店で1日乗車券を扱うというのがよくわからないが、万葉線の公式サイトでさえ発売所の筆頭にここを挙げていたのだから仕方が無い。
地下街からそのままホームにあがって電車を待つ。
駅前では市の広報だろうが、街頭スピーカーが非常にやかましい。
「国民年金をおさめましょう」だとか「なんとか講演会のお知らせ」だとか。
駅前も決して華やかとは言えず、寂れた印象がある。
そこにもってきてこのスピーカー。昭和30年頃の日本のイメージみたい。
終点の越ノ潟まで行く便ではなかったが、どうせ途中で降りるのでこれに乗る。

高岡市内とは、こんなにも田舎なものか。隣接する新湊市に万葉線はつながっているが、大して変わらない。途中の中伏木という電停で降りた。
ここからもはや廃墟となっている倉庫のそばを通って渡し場に出る。これがこの切符で乗れるという「如意の渡し」だ。他に自転車に乗ったおばちゃんが船を待っていた。船はそのとき対岸にいて、こっちに向かってきた。
実際には船の船内といっても座席は6人ほどしか座れず、中に入るのも面倒だったのでデッキ(と言っていいものか…)に立っていた。

結構波があって船が揺れるので、運転しているおじさんのほかにもう一人いるおじさんと、乗客のおばさんが二人して自転車を支えていた。
2分ほどで対岸に着いたが、自転車を上げるのに一苦労している。
手伝わなかったのがちょっと悪かったかと思ったけど、次に乗る氷見線の時刻が迫っていたので、切符を見せてさっさと立ち去ろうかと思っていたら、
そのおじさんに大きな荷物を見られて話し掛けられた。
ノートに住所を書くように求められたので長崎の住所を書いておく。
おじさんは三菱造船所に勤めていたことがあるらしく、できれば地元トークを展開したかったのだが、いかんせん時間が無かったので、早々に退散することにした。


伏木1252→(氷見線)→1308氷見

それにしてもこういうふうに話し掛けられるのは初めてだったのでとても嬉しかった。時間さえあればゆっくり話したんだけどな。
ここから近いというJR氷見線伏木駅の場所が微妙にわからなかったのでついでにそのおじさんに尋ねると親しげに教えてくれた。「またいつか絶対来ます」と言い残して走り出す。
教えられたとおりに踏切を越えてすぐ左に曲がり、駅に飛び込む。
しかし改札口に駅員さんの姿は無く、窓口をのぞきこむと向こうにおじさんの姿が見えたので、18きっぷを見せると、絶対に見えてないはずなのにどうぞというしぐさをされた。田舎の駅ともなるとこんなものなのか。

跨線橋を渡るとすぐに氷見線の電車が来た。便が少ないからか結構混んでいた。

この路線は景色が美しいということで有名なのだそうな。
海沿いを走るときは、すぐそばに海があって、こういうのもいいなとは思ったけど、そんなに感慨深いものでもなかったのは、天気のせいか?

終点氷見のすぐ手前では防砂林の中を走っていくのだが、その中に右翼の街宣車のしかも廃車体がおいてあったのには度肝をぬかされた。
終点氷見で外を歩きたかったけど、あまり時間も無いので車両の顔を写真におさめるとそのまま折り返す。


氷見1316→(氷見線)→1344高岡

折り返しでは席が選び放題なので迷わず海側に陣取る。再び街宣車に驚いて海に出る。

氷見線は冬になると遠くにアルプスが見えるからキレイだよと聞いてきたのだが、残念ながら見えなかった。
おそらくもっと晴れていれば、この写真にアルプスが写ったのだろう。

高岡に着いてから、構内を見ると、「今日の氷見線からのアルプス眺望」という掲示があって、「今日はよく見えます」とあった。見えなかったじゃんよ!

高岡駅前に「ドラえもんの散歩道」なる公園があるという。
高岡に行く折に一度行きたかったのだが、これがようやくかなった。

万葉線の終点まで行く便がまだ当分時間があったので、結構ゆっくり見られたのだが、やっぱり人がいない。
よくできてるのに、遊んでる子どもすらいない…。高岡市ってどこに人がいるんだろう?

公園の中から、折り返し越ノ潟行きになる電車が高岡駅前に向かうのが見えたので、高岡駅前の次の電停で待ち伏せすることにする。
しかしこの電停が道路に白線でくぎってあるだけで、車が行き交い危ないことこのうえない。

先程乗った路線をまた同じ方向に向かう。今度は終点までだ。もうカンペキに鉄道オタクやってますというおっさんが乗っていた。当然のごとく二人して終点まで乗りとおす。

途中米島口でおっさんが両替をした。この両替のシステムがおもしろくって、なんか硬貨を入れてレバーをまわすと下からジャラジャラと出てくるという仕組みのものだった。
僕はフリー切符だったので両替の必要など全くなかったのだが、一度やってみた。不思議な仕組みである。

越ノ潟からは対岸までなんと無料のフェリーがわたっているという。
本来の予定では、富山地鉄の大学前からこの対岸の「新港東口」に向かうバスに乗り、ここに渡ってきて万葉線に乗る予定だったのだが、そのバスの便がとんでもなく少なかったのでこのルートはあきらめたのだ。
ここでももっと時間があれば対岸に渡ってさらに戻ってくるのだが、時間が微妙にしか無いのでそれはあきらめる。

今乗ってきた電車に乗って中新湊で降りてみることにする。
ちなみにまたもや一緒に越ノ潟から乗ってきたおっさんは降りなかった。
ここは越ノ潟まで行かない便が折り返す地点なので何かあるのかと思いきや、何もなかった。
越ノ潟では1本落とすと30待たないといけないがここからは15分毎になるので15分中新湊をうろつく。

そばにあったバス停を眺めていたら、そこは終点がすぐのところのバス停らしく、「あんたどこに行くつもりなの?」と通りがかりのおっさんに怪しまれた。
中新湊電停に戻ると、またもや別の鉄道マニアがいて、万葉線の写真を撮っていた。ご一緒させてもらって写真を撮ると、中新湊発の高岡駅前行きに乗った。


高岡1559→(北陸本線)→1816福井1818→(北陸本線)→1908敦賀1921→(北陸本線)→1941近江塩津1947→(湖西線)→2006近江今津2011→(湖西線)→2115京都2134→(山陰本線)→2144円町

JRの時間までまだあったので、駅前の本屋に行く。確かここは藤子不二雄が二人して足しげく通った店ではなかったか?と思ったがそんな確証はなかった。ただ、漫画のコーナーに今は無き「藤子不二雄ランド」の下敷きがおいてあったのだが、これは単に高岡が藤子不二雄の出身地だったからというのが理由かもしれない。

高岡からはひたすら京都を目指す。金沢も福井も通過だ。そのうちまた来よう。

北陸本線や湖西線でよくみかけたのが、このよくわからない車両である。
普通列車にしても顔が妙だし、何よりおかしいのはこの車内設備だ。
これはもしかすると寝台でも作ることができるのかもしれない。

近江今津の駅が非常に古臭くっていい感じだった。
あえて湖西線を通るルートをとってみたが、案の定真っ暗で何もわからなかった。
昼間だと琵琶湖が近くに見えたりするんだろうか。

円町で牛丼の持ち帰りを買い、capiお手製の肉じゃがを頂く。


2002年12月21日

第7旅第1日

湘南台→(小田急江ノ島線)→藤沢→(東海道線)→新宿→(中央線)→御茶ノ水

新宿に23時に着けば良いのである。
しかし18きっぷはそれから日付がかわるまでも使うことにしたので、実際のところどこかに行ってから新宿に行くのが得でよい。
じゃあどこへいこうかと考えたが、あまりいい案が浮かばない。とりあえずめったに乗ることの無い湘南新宿ラインには乗ろう。
それでもヒマなら、アクティで往復でもするか。ひとまず藤沢まで出て、新宿まで行くことにした。

湘南新宿ラインは、あきらかに小田急をライバル視している。時間的な問題として小田急の湘南急行とがんばっているが、実際問題のところ小田急では各停でも新宿へは行ける。
しかしJRで新宿へ行くためには一時間に2本しかない湘南新宿ラインしかない。いつでもあるという点・運賃が安いという点からしても、勝者はやはり小田急ではないかと思う。
そんなこともあって、わざわざ湘南新宿ラインの時刻にあわせて出発した。次にここに戻ってくるのは年が明けてからだ。

湘南新宿ラインは、普通の宇都宮線の電車がこっちまで乗り入れてくる。ロングシートというのが若干気に食わない。
横浜から横須賀線に入り、西大井を通ったところまでは確認したが、そこからどうして大崎に着いたのかがよくわからない。もっとももう日が暮れているというのも問題だったかもしれない。
新宿に着いて、さあどうしようかと悩んで、神保町へ行くことにした。中央線に乗って、御茶ノ水で18きっぷを見せて降りる。書泉グランデなどに行ったが、閉店時間になって追い出される。
大戸屋を見つけてそこで晩飯とする。さてそれでもまだ21時にならない。
夜の新宿など怖くて時間をつぶす気にならないので、山手線を2周くらいして時間をつぶそうかとも考えたが、あまりに芸が無い。路線図をひらいて、まだ乗ったことない路線を探すと、武蔵野線の西側を思い出した。
秋葉原から京浜東北線に乗って、南浦和から西国分寺、中央線で新宿に戻ってくればいいくらいになるんじゃないだろうか。そう思って再び御茶ノ水駅に戻った。


御茶ノ水2053→(総武線)→2055秋葉原2101→(京浜東北線)→2133南浦和2143→(武蔵野線)→2211西国分寺2222→(中央線)→2255新宿

京浜東北線は、さすがにちょっと座れないくらいという程度の混み具合だった。
田端を過ぎたところくらいで座る。南浦和で降りて、いったんトイレに行ってから
武蔵野線のホームに行くと、あまり待つことなく武蔵野線の電車はやってきた。
武蔵野線はひたすらトンネルの中を走る。もともと貨物線の線路ということで、別に地上を走る必要は無かったのだろう。さらに夜であるので、全く景色はつまらない。
かなり長い駅間で数駅、西国分寺に着く。さて時計を見ると、もう22時をとうに過ぎている。しかも改めて路線図を見ると意外に新宿まで遠い!そして次に来る電車は10分後でさらに各停?
こいつはヤバイと思いながらも、仕方が無いので気をもみながら電車を待つ。車端に座って、新宿に着くのを待つ。どうにか23時になる前に新宿に着いた。


新宿2309→(ムーンライトえちご)→4:56新潟

ホームにあがる階段のところに、LEDの発車板があるのだが、これが、「中央線東京行き」「山手線渋谷方面行き」「埼京線川越行き」に並んで「ムーンライトえちご新潟行き」があるのは、とっても不自然で笑えるね。

列車に乗り込み、席を確認して荷物を置くと、まだ時間があったのでカメラを持って列車の顔の写真を撮りに行った。
ホームでは駅員さんが「現在停車中のムーンライトえちご新潟行き以外の、このホームから発車する電車は全て終了しました。新潟行きは全席指定です。本日のムーンライトえちごは満席です〜」とかなりしつこく繰り返している。さも一般客を追い出さんばかりの口調である。
そう、俺はその指定券をゲットした客だからこのホームにいるんだよ。こういう、ほんのちょっとした優越感がとってもスキである。

新宿を出て、池袋で若干客を拾うと次は大宮である。
僕は当然埼京線の線路を使って行くのだと思いきや、流れる通過駅の駅標に違和感を覚えた。「巣鴨?」池袋を出たあと何故か山手線に沿って走っているのである。そして次に見かけたのが「上中里?」である。どうやら東京にはよくわからない線路が多くあるらしい。湘南新宿ラインもそうなんだろうし。大宮を過ぎた頃に一度寝た。

高崎に着いたところで一度目が覚めた。車内が暑かったので、一度列車の外に出る。入れ替わりに写真家らしいおっさんが乗ってきて、それまで空席だった隣の席に、座ったようだった。大宮を出た時点であわよくば2席占領か?と期待していたのだが、そういえば新宿で満席だとか言ってたっけ。高崎から乗るのもまあアリだな。

第2日

2002年12月15日

第6旅第3日

円町1857→(山陰本線)→1906京都1916→(東海道線)→1944大阪2030→(東海道線)→2150米原2155→(東海道線)→2228大垣2232→(支線)→2238美濃赤坂2245→(支線)→2251大垣

イベント2日めを過ごしたあと、藤沢へながらで帰る。
まず一度大阪へ出る。「赤い青春18きっぷ」なるものが存在すると聞いていたので、それをゲットしたかったのだ。とにかく「みどりの窓口の無い駅で」ということだったが、柘植には無かった。しかし大阪駅の中央きっぷ売り場の13番窓口は扱っているという情報を得たので、さっそく向かうのだ。京都から下りの新快速はガラ空きだった。
大阪駅で降り立ち、中央きっぷ売り場を探す。実際にあるのは当たり前だが、見つけるとなかなか感動。少しひとがいたが、並らんで順番を待つ。
「あの、常備券の、赤い、青春18きっぷがあると聞いて来たんですけど…」というと、若い駅員は「はいはいありますよ」と割ときさくに応えてくれた。
実際に手にとった切符は予想以上に大きかった。またここで初めて18きっぷのハガキなるものを手にする。18きっぷのビラ(西日本版)とともにカバンにしまいこむ。

上りの新快速はさっきの下りと対照的にすごく混んでいた。
神戸のほうで花火大会があったらしい。草津あたりまで座れなかった。

米原ではいつもどおり乗換のラッシュがある。
それは誰でもわかっているらしく、米原に列車が滑り込むと車内が殺気立ってきた。
僕の構えていたドアの位置は悪かった。こちらは8両くらいある長い編成だが米原からの便の編成は2両。うしろのほうに乗っていたので、降りると前のほうへ走った。
距離の差はあったけど、ダッシュしたおかげで難なく席をゲット。
しかしあとから隣に乗ってきた中学生くらいのガキが横でイビキをかいてまで寝ているのが非常にイライラした。大垣に着いてもそいつは降りようとしなかったので、そいつを押しのけるようにして降りた。

大垣に着いたが、まだながらの出発までには時間がある。
今乗ってきた米原〜大垣便の次がながらにちょうどいいくらいに接続しているのだが、この便でも席争奪戦が繰り広げられたくらいだから、きっとこの次の便はもっとすさまじいものになるだろうと予測して、あえて1つ前の便で大垣に着いたのである。
しかしまだ30分以上も時間がある。どうしたものかと思っていたら、大垣から分岐する東海道線の支線がすぐに出ることがわかった。美濃赤坂行き。
普通の切符だと乗ってはいけないが、フリーの18きっぷを持っているのだから、時間つぶしに枝線を乗っても悪くはない。美濃赤坂まで行ったあと、ちゃんと帰りの便があるかどうか時刻表で調べると、ちゃんとあったので乗ることにする。
美濃赤坂までの便は割とひとが乗っていたが、荒尾でも美濃赤坂でも同じくらいの人数が降りていった。一緒に美濃赤坂の改札を出てもよかったのだが、割とすぐに出るし、駅員に二度もじろじろ見られるのが嫌だったのでそのまま車内に残ることにした。
ややあって発車。当然のごとく乗客は僕一人である。
車掌さんは僕一人だけのためにきちんと荒尾での降車案内も、ドアの開閉もしてくれた。
大垣に着く頃にはきちんと「大垣からの乗換のご案内です。ムーンライトながら東京行き…」と言ってくれるのも非常にありがたい。そのうちまた大垣に戻ってきた。

それでもヒマなので、樽見鉄道のホームに行ってみたりする。
そのうち米原からの最終便が着き、大垣駅が騒がしくなってきた。
これみんなムーンライトに乗るのかと思うとぞっとする。
そのうちながらが入線。わらわらとドアのあたりに群がる。
僕は9号車だったのだが、それは東京方の一番前だった。9号車というくらいだから、編成は長い。かなりホームを歩き、自分の席にたどりついた。


大垣2309→(ムーンライトながら)→4:17横浜4:54→(東海道線)→5:15藤沢→湘南台

本来の連れにメールしてみると、ながらの指定席券を払い戻すのを忘れていたという。正直なところ、これは嬉しかった。
上りのながらは熱海から全車自由席になるが、とりあえず熱海までは隣の席には誰も来ないということだ。
名古屋に着く前に改札が来たが、当然隣はいない。
いやあ来ないのがわかってるというのは気持ちがいいものだ。
名古屋から大勢の乗客が乗ってきたが、当然隣の席には誰も来ない。僕は2席使って横になった。
しかし車掌氏に何か言われる可能性が高かったので、あまり横柄に2席使うことはしなかった。

しかし、である。
おそらく富士からだったと思うが、何故か隣に座ってくるおっさんがいるのだ。
自由席は熱海からだから、熱海から隣の席に座ってこられるのは仕方ないことだが、これは明らかにダメ。しかしそれを追求する正当な理由は無いので(「知り合いが払い戻しそこねたんですよ、だからここは空席のはずですが?」とは言えない…)何も言えずにいた。
湘南台へ早く帰るためには、当然藤沢からの小田急の始発に乗ればいい。
しかし藤沢にながらは止まらないので、どこかで東海道線の各停に乗り換えなければならない。
ながらは、小田原の次は大船だ。藤沢に近いのは大船だが、大船から藤沢への下りを待っていると、
藤沢に着く頃には小田急の始発は出てしまっている。
どうしても小田急の始発に乗るのなら、大船ではなく小田原でながらを降り、一時間待って上りの始発を待つ。この便なら藤沢には小田急の始発前に着くので、始発で湘南台まで帰れる寸法である。
だが、富士で一度目覚めたものの、次に起きたのが小田原だった。
目が覚めたらすでに小田原に止まっていた。隣の勝手に乗ってきやがったおっさんはグースカ寝ているので、これをわざと起こしてでも降りようとすれば降りれたのだが、なんだか面倒くさくなってきた。急げば間に合ったのだが、迷っているうちに小田原を発車した。これで湘南台へ始発で帰れることはなくなった。
次は大船だが、大船での待ち合わせは非常に長い。むしろ横浜まで行っても、同じ便を長く待つことになる。じゃあ横浜まで行って、牛丼屋にでも行くか、と思った。

大船を過ぎて、横浜が近づくがおっさんはまだ起きない。
横浜ではちゃんと降りるつもりだったので、「ハイすいませんよ」てな感じでおっさんを押しのけてながらを降りた。
まだ午前4時を過ぎたばかりで静かだ。一緒にながらを降りたひとたちが、改札口に誰もいないのを見て、切符をどうしたらいいかを悩んでいる。
どうせ切符は見るだけだし、別に違反した切符を持っているわけでもないので、僕は堂々と駅員のいない改札口を突破した。
相鉄口から吉野家まで行き、牛丼を食す。まだまだ時間はあったのでゆっくり食べる。
さすが横浜駅前なだけあって、人通りは少ないものの吉野屋には客が何人かいて、その中にはカウンターで堂々と寝ているひともいた。こういうときに24時間営業の牛丼屋は便利だ。
もう一度駅員のいない改札を通り、東海道線のホームへ。
京浜東北線はもう動いていた。ホームの売店へ新聞を運ぶひとなど、早朝の風景が珍しかった。
始発の東海道線下りはほとんど人も乗っていなかった。
藤沢に着いたが、ここでも駅員はいなかった。一応どうしたらいいかわかんないといった雰囲気はみせておいたがいいかと思い、改札口をまごまごしていたら、どこからか駅員が現れた。
どこかにカメラがあって、まごまごしている僕を見てやってきたらしい。
だったら最初から中にいてほしい。
「ちゃんと今日の日付ついてますね?じゃあいいですー」ということで改札を出る。
次の小田急まで時間あるので、このまごまごした時間も、小田急のホームへ向かうのもゆっくりできた。

5時半に家に着いた。
今日は月曜日、1限から授業があるのだが、それまで起きていても仕方ないのでもう一度寝ることにする。

2002年12月14日

第6旅第2日

イベントへ向かい、1日過ごす。

2002年12月13日

第6旅第1日

湘南台→(小田急江ノ島線)→藤沢0:21→(東海道線)→0:34平塚0:44→(ムーンライトながら)→6:05名古屋

ながらは、横浜から日付が変わる。藤沢通過時にはとっくに日付がかわっているわけで、京都までは1日ぶんで行ける。

まず日付が変わってから乗るという初体験を湘南台で体験。
藤沢到着時に車内に流れた「次は藤沢〜東海道線と江ノ島電鉄線はお乗換です…失礼しました、上り東海道線と江ノ島電鉄線は本日の運転は終了しております」というアナウンスに少し笑った。藤沢では日付入れを頼むと、駅員のおじさんは腕時計で12時をまわっていることを確認してから日付をいれてくれた。

もう1本あとの便でも平塚では間に合うのだが、早いにこしたことはない。
さすがにこの時間ではガラガラな東海道線下りで平塚を目指す。

平塚で1本迎えてからすぐ、まぶしいヘッドライトをともした列車が入線してきた。
列車の顔、というか全面四角形の四隅にライトがあるので、正直なところ列車の顔は見えない。

自分の席はA席(窓側)だったのだが、B席にはすでに先客がいた。
おっさんである。しかももう寝ているのだが、おじさんの前を通らないことには座れないので強引に起こす。あまり怖そうなおっさんでなくてよかった。

次の国府津に着く前までに車内検札が来た。
「21の日付は…もう入ってますね」とか言ってそのまま18きっぷを返してくれた。

小田原からは一部自由席になるので、小田原からその自由席に乗ろうとする連中が
小田原駅のホームに長い列を作っていた。
おりしも18きっぷ期間、名古屋まで指定席である1号車でさえほとんどの席は埋まっているくらいだから自由席車とはいえ、ほとんどのひとが座れないまま夜明けを迎えるに違いない。
ちゃんと座席で眠れるのなら、510円をケチろうとはとても思えない。

小田原での停車時間は2分だけのはずだが、何故かいつまで経っても発車しない。
しばらくして車内アナウンス。
「本来はもうすでに発車の時間ですが、本日のみ、小田原着の終電に接続してからの発車です。小田原着の終電が遅れておりますので電車にお乗りになってからお待ちください」とかなんとかわけわからないアナウンスが流れた。
どうもよく理解できないが、とにかくながらに乗りそびれたひとがいたのだろう。
ダイヤを乱してまで乗ろうとするくらいだからよほどの要人なのだろうか。
というか、要人はそもそもながらなんぞで移動したりはしないと思うが。

だいぶ経ってから東海道線の終電が小田原に着いた。
なんとなくせわしない雰囲気のなか、さっさと乗り換えろという旨の構内アナウンスが流れ、終電到着後あまり時間をおかずにながらは発車した。

熱海で乗務員が交代した。
熱海から沼津へのトンネル内は、前方運転席後ろのカーテンが閉められていなかったので、トンネル内の照明が流れてとてもきれいだった。

しかしそれにしてもながらの車内は豪華だ。
日中は特急車両として使われているぐらいだから、18きっぷだけで乗れてしまうのが悪い気がしてくる。

沼津に着いた記憶は無くて、静岡と浜松で一度起きるもすぐ眠りに落ちた。
豊橋で降りる人は結構多くて、中学生くらいの少年たちが10人ほど降りていった。豊橋では結構停車時間が長かったので、彼らは列車の全面で記念撮影していたがそのうちどっかへ行ってしまった。
豊橋からは普通の各駅停車になる。大小さまざまな駅に止まりながらウトウトしていたら、そのうちに名古屋に着いた。


名古屋6:40→(関西本線)→7:51亀山8:03→(関西本線)→8:28柘植8:58→(草津線)→9:39草津9:49→(東海道線)→10:12京都

もう1本前にも関西本線の便はあったのだが、どうせ亀山で長く待たされるのでそれだったら次の便で行くべしと思い、改札を出て名古屋駅前をうろつくことにする。
しかし、大都会名古屋とはいえ、夜明け前の街はまだ眠っていた。
駅前であいているのはローソンくらいで、ひととおり一周した後また駅に戻った。
本来なら牛丼屋で朝食としたかったのだが、見当たらないので駅弁にする。
名古屋といえばミソカツ。駅弁はえてして高価なものだが、まだガマンできる値段でも
あったミソカツ弁当があったので、まだ朝の準備であわただしい売店で購入。
改札に入って関西本線のホームに行くが、車内のボックスシートはもう埋まっていて、仕方なくロングシート部分に座る。しばらくすると空きボックスが出てきたので、そちらに移動して弁当を広げる。揖斐川を渡った頃完全に夜が明けた。

日本で一番低いところにある駅がこの関西本線の弥富駅なのだが、ちっともそんな雰囲気はしない。普通の街中の駅だ。でもいつか途中下車はしてみたいと思う。

亀山でディーゼルカーに乗り換える。ここから先はとても山深いところを走っていくのだが、今日は柘植まで。ほんの25分だが、小雪舞う山中を進んでいく電車の先頭で前をずっと見ていた。前回ここを通ったときは夜だったので、あまり景色は見られなかったのが残念だ。今度は日中に加茂〜亀山間を乗りたい。

柘植で結構待ち時間があったので、外に出ればよかったが、とても寒かったので待合室でコーヒーを飲みながら待つ。草津線は普通の東海道線の電車と同じだった。
草津に着いてからも接続は悪く、かなり不満。実は急いでいるのだが。

京都駅に着いて、本来いたはずの連れの分のながらの指定席券を払い戻す。
みどりの窓口に行き、順番を待って窓口に行くと、今度は精算窓口へ行けという。
これは明日京都に着く連れのぶんだったが、来ないというので払い戻すハメになったのだ。
ちなみに彼らと帰りは一緒だったはずだが、それもフイになった。
しかし払い戻したあとに誰かに買われてしまうと、自分の隣の席が埋まってしまう。
どうせなら二人分の席を占領したかったので、彼らには当日の遅くに払い戻すよう言っておいた。

これから立命館大学に向かうのだが、これがまた道が混んでいた。
千本中立売でcapiから「まだ着かない?」とメール。
「お前のバイト先の本屋の前や」と返信しておく。

まだかかってようやく立命館大学着。しかしcapiの姿が見当たらず、構内をウロウロ。
そのうち会った。しかしもうひとりの待ち合わせ相手イッペイちゃんがまだ来ない。
このあとは法学部の授業にもぐりこんでみる予定だったのに、当人は未だ「京都駅からチャリで全力疾走中」だそうな。
そのあいだに文学部の校舎などをうろうろして、ようやくイッペイちゃんと合流。
とっくに授業が始まっている教室へ入ってみるも、あまり面白くない。
その授業を履修しているイッペイちゃんでさえ面白くないというくらいだから相当なものなのだろう。すぐに抜け出す。昼飯をどこで食べようかとして、存心館と諒友館のどちらか迷い、結局諒友館に向かう。
しかしまたこれがすごい混雑である。ウチの大学とはえらい違いだ。
メシを食って、次は文学部の授業へ行くが、これもつまらないということで、capiのテスト返却を受けるとまた教室を出てしまった。

大学ではもうすることがなくなったので、生協をうろうろしてからイッペイちゃんちへ寄ってからcapi宅へ。中立売のスーパーで鍋の材料を買い込み、三人の晩飯は鍋。

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